校長 その日その日
Principal Day by day
Principal Day by day
2022/10/17
14日(金)、中1のフロアに足を運びました。6時間目にもかかわらず(?)、高い集中力で取り組んでいるのが印象的でした。
↓ T教諭の英語の授業。冒頭10分間、英語の小テスト
↓ いざ答え合わせ。生徒「やべ、2問間違えた!」
↓ こちらは数学、連立方程式の演習で解く速さを生徒と教師で競っていたようです。M教諭「スピードじゃ負けないよ!」
↓ 図書館ではI教諭が国語の授業中。こういうスタイルも本校ではあり
↓ 授業とは関係ありませんが、図書委員さんの図書紹介に目を奪われました
このように、本校では基礎基本の習熟を、基本的な学習スタイルで取り組んでいます(授業中すべてがその時間ではもちろんありません)。
「楽しい授業」という、一見好ましい響きの言葉がありますが、そもそも学習が「楽しく」なるためには、一定の知識が身に付いていることが前提条件です。
うわべだけを楽しく感じさせる授業は簡単ですが、そのような授業は「知識の定着がない」場合があるように思います。だから本校では小テストや問題演習を大切にしているのです。
そのプロセスを省いて「楽しい授業を」というのは、小説を真ん中から開いて「面白いと思わせろ」というのに似ている気がします。そこに味わい深さや読後の余韻はあるのでしょうか…。それ以上に、教育として無責任だとも思います。
数学の解の公式、英語の熟語、理科の法則、古文の助動詞……それ自体に意味を見出すことは難しいかもしれませんが、これらは、先人たちが多くの疑問と格闘し、導き出され凝縮された「体系的な知」です。
「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」というように、歴史を経て蓄積された知、体系化された知を学ぶから、その先にあるさまざまな分野の知を、効率よく(私たちが生きている間に!)身に付けることができ、ひいては深い興味関心を呼び起こすことができるのではないでしょうか。
いろいろなご意見がおありかと思いますが、基本的に私が考えていることです。