校長 その日その日
Principal Day by day
Principal Day by day
2025/03/11
11日(火)、無事期末テスト3日目が終了し、生徒たちは昼過ぎに下校していきました。
気のせいか帰り際の校舎内の階段で、彼らの声が楽しそうに響いているのは、明日がテスト最終日だからでしょうか。
14年前もそのような光景だったそうです。お昼までは…。
(私がまだ入職前で、前任校長や先輩教員に聴いた話です)
――2011(平成23)年3月11日の15時前。大宮地域も大変な揺れに襲われました。
あの日は金曜日でした。冬空で風の強い、寒い午後だったと記憶しています。
幸い生徒は期末テスト最終日でほとんど下校し終えており、校舎も損傷はなく電気・水道に異常がなかったことも救いでした。
大変だったのはその後です。JR大宮駅は閉鎖されパンク状態。下校生徒たちが足止めを食らいます。
国語O教諭「在校していた部活やってる高校生に『大宮開成生を見かけたら連れ戻してこいっ』って大宮駅まで走らせたんですよ。とくに中学生を連れ戻してきてくれたのは良かったな」。
幸い本校周辺は道路閉鎖等もなく、学校に残っていた生徒のほとんどは、徒歩や家族の迎えで夜までに帰宅したそうですが、それでも電車組の10~20名は学校で一夜を明かすことに。
職員が手分けして食糧を買い出し(当時は備蓄食料なし)に行き、ほとんど空の棚からまとまった量を買おうとすると「周囲から"買占めか?!"と睨まれた」と社会D教諭。
一夜を明かした生徒たちも、翌日には無事帰宅できたそうです。
福島を始め東北各地域では、未だに震災前の生活に戻れていない方々・ご家族の行方を捜していらっしゃる方々が大勢いると、メディアは繰り返し伝えています。
私も教員ではない前職で、震災の夜は避難者の誘導にあたっていました。
どなたも落ち着いていて、毛布をお渡しすると「ありがとうございます」とか「携帯の充電器借りてもいいですか」などと礼儀正しく、人間とはこういう時に人となりが現れるのだなと実感したのを覚えています。
その一方で4月から本校に奉職することになっていたため、職責を果たずに自分は去ってしまうのか…と呵責を覚えたことも忘れません。3.11は未だに心の痛みです。
14年経ち、本校生たちで当時を覚えているのは高2以上ぐらいでしょう。
本校でも毎年防災訓練を実施しますが、生徒に"またいつものやつね"という雰囲気が全く生じない、といったら噓になります。
「あの映像」を見ないと、人間は忘れてしまうのでしょうか。
私の痛みなど被災した方々の比にもなりませんが、愛知和の愛「他者に思いを致す」ことだけは忘れたくない、生徒たちの笑顔を守りたい、と思います。
(コラム題は合唱『群青』の歌詞より)