校長 その日その日

Principal Day by day

校長 その日その日

 

2022/07/21

(7/21)父はカボチャを食べない ―終了集会にて―

今日21日(木)、中学・高校の終了集会(残念ながら全校放送形式)にて私がお話しした内容です。中学生と高校生で若干ニュアンスを変えましたが、大筋は同じです(約10分)。

 

「7月・8月というと、私は日本史の教員でもあり、やはり戦争のことを意識する。今日は77年前のこと、そして皆さんに高校や大学で学ぶ意味を話します。

 

私のは今80代も後半だが、カボチャを食べない。見たくもないそうだ。天ぷらなんかあんなに美味しいのに。

母が言うには、“子どものころ食べるものがなく、コメの代わりにカボチャばかり食べさせられたため” とのこと。

そのころの父は小学生、今から77年前、太平洋戦争の末期の1945年のことだったようだ。

父は昔の話はあまりしない人間だったが、私が強烈に覚えていることがある。

それは父が氷川参道あたりで、米軍の戦闘機に低空飛行で追いかけられた話。父はこの辺(大宮)に住んでいた。追いかけられた際、パイロットの顔が見えたという。

 

皆さん知っているか?当時の大宮の街は、軍需都市だった。だから米軍の標的になったのだろう。戦争末期の1945年春から夏にかけて、大宮は何度か米軍の爆撃を受け、亡くなったかたもいる。

例えば大宮駅のすぐ北にあるJRの大宮工場。鉄道は物流の重要手段だし、兵器も製造していた。さいたま新都心のショッピングモールや、宮原のショッピングモールは、飛行機の機体やエンジンを作る軍需工場だった。

また大宮の西のほうにある自衛隊駐屯地も陸軍の軍需工場で、レンズなど光学機械を作っていた。

幸い大宮では大きな空襲はないまま、8月15日の終戦を迎えた。ただ県内では唯一、熊谷市で終戦前日の8月14日に大規模空襲があり、大勢の方が亡くなっている。あと1日生きれば戦争が終わったというのに。

これらの工場で働いていたのは、大人ではない。今の皆さんと同じぐらいの男子女子だった。食べ物も満足になく、勉強なぞできる状況ではなかった。明日生きているかもわからない夏だった。

その77年後の今、皆さんがこの大宮開成で学んでいる。

 

皆さんが中学・高校そして大学で学ぶ意味は何か。それは「過ちを繰り返さない」ためだ。

人間は、忘れる生き物である。

歴史の上に生きる皆さんは、過去の指導者たちの過ちを知り、皆さんがそれを繰り返さないために学ぶのである詳しくならなくてもいい、教科書で十分だ。

そのうえで、「ここに書いてあることは本当だろうか」「あの人が言っていることは、本当にそうだろうか」と、大人たちの言うことを自分の頭で考えてほしい

もうすぐ皆さんは有権者。その年齢になって急にそれを意識することはできないから、今からその準備をしておくことが大切なのだ。

残念なことに、この瞬間も未だに人々が傷つけあっている国がある。皆さんはそこから何を学ぶか。

亡くなった人は、もう何も語ることはできない。しかし皆さんが歴史を学ぶことで、亡くなった人は皆さんの中で生き続けることができる。その人の命も意味があったということだ。

とくに高3生はいよいよ受験モード、と大変だと思う。受験勉強は表面上、大学入試のためではある。しかし、人生の中でこれほど色々なものを、深く、正確に学べる機会はそんなにない。だから皆さんが中学・高校そして大学で学ぶことが大切なのだ。

父はもう話ができないのだが、今になって、もっと聞いておけばよかったと思う。

 

どうか健康に十分気を付けて、土曜からの夏期講習、そして8月終わりに皆さんの元気な顔を見せてください。バスの降りたところで待っています」